2025 .03.04
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2009 .07.29
かつては、それぞれの年代を代表する「シンセサイザー・ヒーロー」とでも呼ぶべき存在がいたと思う。
70年代、シンセの黎明期はやはり「世界のトミタ」冨田勲氏だろう。日本にはシンセに関する情報もほとんど無い時代に、それまで世界の誰も到達した事の無い水準のシンセサウンド世界を構築した事は、教科書(日本史か、せめて音楽)に載せない方がおかしい位の偉業だ。
先日無くなったマイケル・ジャクソンも、来日時に冨田氏のスタジオを訪れ、作品で使われていた音の作り方について質問していったとか。日本国内での認知以上に、世界的な存在の音楽家だ。
80年代前半はなんと言ってもYMOの時代。シンセサイザー・ヒーローは「教授」こと坂本龍一氏だろう。YMOのシンセサウンドの本当の功労者は松武秀樹氏だという事は詳しい人なら大抵知っているが、音楽と先進のテクノロジーの寵児であるポップスター、というイメージはこの人がパイオニア的な存在だろう。
さて、ここら辺から私のリアルタイム↓
80年代後半~90年代初期になると、当時TMネットワークを率いていた小室哲哉氏がその位置に上ってくる。後にあ~んなに色々な事が起こるとは全く予想できなかったが(^^;)マニアックな音楽に触れる機会の少ない当時の田舎では「自分の好きな種類の音」の片鱗が数多く散りばめられた小室サウンドは非常に貴重なものだった。「シンクラビア」「memorymoog」「ハモンドB-3」等の楽器は、TMのステージを通してその存在を知った事を告白しておく。
さて、90年代中期。この変から細分化が進み、時代を代表する存在の定義が難しくなって行くが、一番シンセサイザー・ヒーローと呼ぶに相応しいのは電気グルーヴの石野卓球と砂原良徳だろう。早いものでまりん(砂原)が電グルを脱退して10年以上が経つが、氏が在籍していた当時のアルバムにおける2人のサウンドクリエーターの絶妙なバランスは、今聴いても目を見張るものがある。両氏のソロや、石野・瀧2名体制時のアルバムも水準的には十分高いが、そこにも無い独特のテンションがあの当時の作品にはあった。
一つ追記するなら、電グル中期のアルバム(VITAMIN、DRAGON辺り)は、バブリーな時代に作られた豪華な商業スタジオ(SONY PCM3348やSSLの卓が主流の時代)で、チープ系のシンセを中心に作られた貴重なサウンドだ。もうあの色合いは二度と再現できないと思うので、時代を映す鏡としても是非チェックしておきたい。
さて、それ以降の時代…。残念ながら、前述の諸氏に並ぶようなシンセサイザー・ヒーローはここ10年位不在な気がする。ヒーローの不在は青少年に「あこがれの喪失」をもたらし、さらに次世代のヒーローの出現も脅かすという負の連鎖を生んでしまう。ゆゆしき、そして悲しき事態。
年代からすると、丁度自分と同じ位の年代の中から本来であればそういう存在が生まれていなければならない。これは、(もちろん自分も含め)同世代の不甲斐なさを憂うばかりでなく、今後の電子楽器界隈の勃興を左右する上でも非常に大きな問題だ。
使命感などと言うと僭越すぎるが、少なくとも下の世代から見て「なんか楽しそうな事をやってる大人」ではあらねばとつくづく思う今日この頃である。
70年代、シンセの黎明期はやはり「世界のトミタ」冨田勲氏だろう。日本にはシンセに関する情報もほとんど無い時代に、それまで世界の誰も到達した事の無い水準のシンセサウンド世界を構築した事は、教科書(日本史か、せめて音楽)に載せない方がおかしい位の偉業だ。
先日無くなったマイケル・ジャクソンも、来日時に冨田氏のスタジオを訪れ、作品で使われていた音の作り方について質問していったとか。日本国内での認知以上に、世界的な存在の音楽家だ。
80年代前半はなんと言ってもYMOの時代。シンセサイザー・ヒーローは「教授」こと坂本龍一氏だろう。YMOのシンセサウンドの本当の功労者は松武秀樹氏だという事は詳しい人なら大抵知っているが、音楽と先進のテクノロジーの寵児であるポップスター、というイメージはこの人がパイオニア的な存在だろう。
さて、ここら辺から私のリアルタイム↓
80年代後半~90年代初期になると、当時TMネットワークを率いていた小室哲哉氏がその位置に上ってくる。後にあ~んなに色々な事が起こるとは全く予想できなかったが(^^;)マニアックな音楽に触れる機会の少ない当時の田舎では「自分の好きな種類の音」の片鱗が数多く散りばめられた小室サウンドは非常に貴重なものだった。「シンクラビア」「memorymoog」「ハモンドB-3」等の楽器は、TMのステージを通してその存在を知った事を告白しておく。
さて、90年代中期。この変から細分化が進み、時代を代表する存在の定義が難しくなって行くが、一番シンセサイザー・ヒーローと呼ぶに相応しいのは電気グルーヴの石野卓球と砂原良徳だろう。早いものでまりん(砂原)が電グルを脱退して10年以上が経つが、氏が在籍していた当時のアルバムにおける2人のサウンドクリエーターの絶妙なバランスは、今聴いても目を見張るものがある。両氏のソロや、石野・瀧2名体制時のアルバムも水準的には十分高いが、そこにも無い独特のテンションがあの当時の作品にはあった。
一つ追記するなら、電グル中期のアルバム(VITAMIN、DRAGON辺り)は、バブリーな時代に作られた豪華な商業スタジオ(SONY PCM3348やSSLの卓が主流の時代)で、チープ系のシンセを中心に作られた貴重なサウンドだ。もうあの色合いは二度と再現できないと思うので、時代を映す鏡としても是非チェックしておきたい。
さて、それ以降の時代…。残念ながら、前述の諸氏に並ぶようなシンセサイザー・ヒーローはここ10年位不在な気がする。ヒーローの不在は青少年に「あこがれの喪失」をもたらし、さらに次世代のヒーローの出現も脅かすという負の連鎖を生んでしまう。ゆゆしき、そして悲しき事態。
年代からすると、丁度自分と同じ位の年代の中から本来であればそういう存在が生まれていなければならない。これは、(もちろん自分も含め)同世代の不甲斐なさを憂うばかりでなく、今後の電子楽器界隈の勃興を左右する上でも非常に大きな問題だ。
使命感などと言うと僭越すぎるが、少なくとも下の世代から見て「なんか楽しそうな事をやってる大人」ではあらねばとつくづく思う今日この頃である。
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