2024 .12.04
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2010 .04.10
確か5年ほど前、その頃イケイケだったライブドアがフジテレビを買収するしないの話題でもちきりだった頃、当時社長だったホリエモン氏が、通信と放送が融合した場合のメリットとして「ドラマなども、ネットからの視聴者の感想により展開を変えていける」といったような意味の事を言っていたと記憶している(記憶なのでこの発言自体の正確さは完全ではないが、少なくとも同じ事は他の人の発言でも何回も耳にした)。
これを聞いて、そんなものはドラマを面白くするのに何の役にも立たないどころか、むしろ害悪でしかないじゃないかと呆れた。例えば現実にあるような事として、2ちゃんねるの書き込みを見て過剰に反応してストーリーが二転三転するようなドラマがあったら、トンデモ見たさ以外の意味で見たいと思うだろうか。多分、ホリエモン氏の発言はマスを見方につけようとするリップサービス的なものではないかと思うが。
それから大分年数がたったが、今にしてみるとネット企業がテレビ局を買収する意味はほとんど無くなってしまったと言っていいだろう。テレビ自体の利用価値はまだあるとは思うけれど、今のネットのスピード感や小回り具合から行くと、テレビ局なんて持った途端に不良債権になるだけだ。そもそも2つは、コンテンツの作り方が本質的に違っている。
テレビのコンテンツの作り方は、様々な意味で「お客様本位」だ。ここでいうお客様とは、スポンサーの場合と、視聴者の場合の二通りがある。スポンサーへの配慮は置いとくとして、問題は視聴率というシステム。30%取っている番組は優秀と言われるだろうが、言い方を変えれば70%は見ない番組とも言える。それでも、限られたチャンネル数の中の最大公約数を取っていくしか無い状況下では、他に良い尺度が無いのも確か。
それに対してネットの本質は「思い込み」で出来ている。個々人のコンテンツは当然として、公益性のありそうなものでも「これは役に立つに違いない」という、言わば思い込みを前提にしてコンテンツが置かれて行く。それもこれも、スペースは無限では無いにしろ限りなく広いという事と、完全に同時性を持って受け取らなくても良いという性質がもたらす余裕から来ている(「リアルタイム」と言われるTwitterやUstreamでも本質は同じ)。
以上のような特性の違いがあるから、言われているような意味での「放送と通信の融合」って、難しいというより「つまり何をしたいの?」という疑問がわいてしまう。一つテレビ側に不利な事としては、通信を使って「放送っぽい事」をやるのは簡単だけど、放送を使って通信ぽい事やるのは非常に難しい(意味も無い)という事。
皮肉なのは、放送は「オキャクサマホンイー!!」という呪縛で転げまわったあげく独りよがりなコンテンツばかりになってしまい、個々の「思い込み」が無数に連なったネットはユーザビリティーがどんどん向上して行ってるという事。テレビは、周りなんか見ない方が面白い番組できるんじゃないかなあ?
これを聞いて、そんなものはドラマを面白くするのに何の役にも立たないどころか、むしろ害悪でしかないじゃないかと呆れた。例えば現実にあるような事として、2ちゃんねるの書き込みを見て過剰に反応してストーリーが二転三転するようなドラマがあったら、トンデモ見たさ以外の意味で見たいと思うだろうか。多分、ホリエモン氏の発言はマスを見方につけようとするリップサービス的なものではないかと思うが。
それから大分年数がたったが、今にしてみるとネット企業がテレビ局を買収する意味はほとんど無くなってしまったと言っていいだろう。テレビ自体の利用価値はまだあるとは思うけれど、今のネットのスピード感や小回り具合から行くと、テレビ局なんて持った途端に不良債権になるだけだ。そもそも2つは、コンテンツの作り方が本質的に違っている。
テレビのコンテンツの作り方は、様々な意味で「お客様本位」だ。ここでいうお客様とは、スポンサーの場合と、視聴者の場合の二通りがある。スポンサーへの配慮は置いとくとして、問題は視聴率というシステム。30%取っている番組は優秀と言われるだろうが、言い方を変えれば70%は見ない番組とも言える。それでも、限られたチャンネル数の中の最大公約数を取っていくしか無い状況下では、他に良い尺度が無いのも確か。
それに対してネットの本質は「思い込み」で出来ている。個々人のコンテンツは当然として、公益性のありそうなものでも「これは役に立つに違いない」という、言わば思い込みを前提にしてコンテンツが置かれて行く。それもこれも、スペースは無限では無いにしろ限りなく広いという事と、完全に同時性を持って受け取らなくても良いという性質がもたらす余裕から来ている(「リアルタイム」と言われるTwitterやUstreamでも本質は同じ)。
以上のような特性の違いがあるから、言われているような意味での「放送と通信の融合」って、難しいというより「つまり何をしたいの?」という疑問がわいてしまう。一つテレビ側に不利な事としては、通信を使って「放送っぽい事」をやるのは簡単だけど、放送を使って通信ぽい事やるのは非常に難しい(意味も無い)という事。
皮肉なのは、放送は「オキャクサマホンイー!!」という呪縛で転げまわったあげく独りよがりなコンテンツばかりになってしまい、個々の「思い込み」が無数に連なったネットはユーザビリティーがどんどん向上して行ってるという事。テレビは、周りなんか見ない方が面白い番組できるんじゃないかなあ?
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